2014年1月12日日曜日

さようなら、もうひとりの義母。

亡くなった前夫Jの母。

1月2日に、いつもいつも会いたくて、思えば心が痛くて仕方が無いJの元へと旅立って行きました。


新年が明け、”電話して新年の挨拶をしなくちゃなあ。でも明日でもいいか!”と思った、明日は来なかった。




2日の夜。
10時過ぎには寝ていたのだけど、電話がなった。
義妹(前夫の妹で、実は今の夫の兄の嫁)からで、”あはは、寝てたよ〜”と寝ぼけた感じで言ったら、なんだか様子がおかしい。

とっさに思ったのは、もしかして、夫婦喧嘩でもしちゃってキャビンを飛び出してきたけど、家の鍵を忘れた!とでもいうのかな〜?なんて呑気に思いつつも、どうしたの?どこにいるの?と聞いたら、キャビンにいるよ、、、と言う。


そして、ひとこと、ひとこと、その言葉を、言い終わるまで壊さないように、ちゃんと一回で伝わるように、最後まで言うんだ!って努力している感じで








"Mom







passed







away"





と言った。



本当に本当に信じられなかった。
あまりにも急で、信じられなくて、涙は出てこなかった。

まだまだずっと生きてて、段々と持病が悪くなっていって、お見舞いにいって、家族みんなそれぞれ準備ができていって、ゆっくりとさようならを言うものだと勝手に想像していたのに。

私は、、、まだそこらへんにいそうな彼女の魂を追いかけて行って、引き戻したい!まだ、間に合うんじゃない?とかバカなことを思ったけど、そんな事はできるわけがない。


どうして?どうして何も言わずに逝っちゃうんだよ!って、そんな誰も


”今から死にますから、元気でね。あまり悲しまないでね”


なんて言えるわけないのに、どうしても”何も言わずに突然勝手に逝っちゃった!”という思いが強くて、だんだん怒りが湧いてきた。

それから、電話をしなかったことを後悔した。
なんでしなかったんだろう?なんで思った時に、さっさとしなかったのだろう、、って。

心の中で、ごめんね、、ごめんね、、、と言い続けたけど、今までみたいに


”いいのよ。大丈夫よ。あなた、忙しかったじゃない?わかってるから、大丈夫よ”


っていつも義母が言ってくれる、優しいゆるしの言葉を聞く事はできない。

その言葉に甘えてたばかりに、後悔することになった。
さっさと電話もせず、自分が思いやりがなくて、なんてバカなヤツと思えて思えて仕方がなく、自分に猛烈に腹が立ってきた。


私たちは、私の夫、彼女の息子の死により、ちょっと他の嫁姑とは違う絆があったと思う。
本当に私のことを大事にかわいがってくれた義母。
一緒に泣いて、悲しんで、そして、”え?はい!?”ってジョークを言って、私が笑い出して、義母も笑って、涙を締めくくっていた義母。


手紙、カード、e-mailの終わりにはいつも"Love you, Love me"と書いていた義母。


*****


お葬式の前日、family viewingと言って、家族だけが遺体と会った。
棺の中に横たわる義母を見て、ようやく、ああ、本当に逝っちゃったんだ、、、と思えた。

家族が多過ぎて、こどもたちとその伴侶たち、大きくなった孫達で家の中に大人が14人くらいいると、義母が本当にいるのかいないのか、、よくわからない感じで賑やかになってたけど、やっとやっと、本当なんだ、、と思えた。



******


お葬式は、すごく寒くて(体感温度マイナス48度)、すごく晴れた日だった。

いつもシャープなジョークをいう義母が


”ほらね。これで、みんな私のこと、忘れないよね?この寒さと、この空の青さ!このために、すごい(お金を)払ったんだよ!”

って言ってる感じだった。


いつも彼女は言うの、、、天気がものすごい良かったり、悪かったりすると



"I paid it for you !"



って。



だからここバンクーバーで、雨の時期に晴れた日が来たり、雪が降ると、電話で

”今回はいくら払ったの?”

と義母に聞いていた。





教会でサービスが終わって、そのまま家族だけ墓地へ行き、前夫のお墓の横にお墓を買っていた義母はそこで眠りにつく。


膝丈ほど積もっていた雪ははらわれ、骨壺が入る大きさに穴が掘られていたけれど、あまりの寒さに、土からは湯気が出ていた。


彼女の灰を両手で包み、いつも愛してくれててありがとう、、、と言った。




さようなら。
でも、Jに会えたね。
ずっと会いたかったJと一緒にいるね。

彼は、光の中に義母を迎えに行ったはず。
手を取って、彼女が信じていた、行くべき素晴らしいところに連れていってくれただろうと思う。


亡くなったとき、彼女は私が数年前のお誕生日にプレゼントしたネックレスを着けてくれていた。


義母はドレッサーの鏡に"Read Me"と表書きした封筒を張り付けていた。
中には”私が死んだら、、、”で始まり、連絡して欲しい人の名前と電話番号が書いてあった。


クローゼットの中には、"Graduation"と書かれた箱があって、まだ学校に通っている孫達それぞれに宛てて、学校を卒業する時のためにカードが何通も用意してあった。


孫達がそれぞれの学校を卒業するたびに、天国のグランマから”卒業おめでとう”のカードが届く。



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8 件のコメント:

  1. 今日のブログを読んで涙が止まりません、、、。Love you, Love me. . .  大好きなJと一緒にずっとYukaちんを見守ってくれています。ご冥福をお祈りします。

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  2. ジェニーさん。
    ありがとうございます。
    Jは、ちゃんと光の中に迎えに行って、今頃、ふたりで楽しくしてるんじゃないかなあ、、。やっと会えて喜んでいると思います。
    悲しいけれど、ずっと抱えていた彼女の心の痛みからの解放なので、私もうれしいです。

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  3. ゆかちん、更新してると思ってなくてものすごく久しぶりに開いてみたら、、、かなり更新されていてビックリした・・・。
    お義母さん、Jに会って一杯一杯これまでの色んな話して、笑って、安らかな気持ちでいるよね、きっと。FBで読んだ時も思ったけど、本当に素敵なお義母さんだったんだね。そして、きっとゆかちんが言うように、ゆかちんとお義母さんの関係はとても深いものだったんだろうな。その寒さがどれほどのものなのか、想像もつかないけど、お義母さんきっと相当払ったんじゃない?(笑)
    絶対みんなが忘れないような、スーパーコールドお願いします!って。
    明日でもやれるかな?と思うことって、実は今日でもやれるんだよね。
    ただ人は明日は来ないかも、なんて日常では忘れちゃってるから、忙しさにかまけて、ついつい先延ばしにしてしまうことって多いよね。(私は常にそう・・・)
    でも、これからは思ったらすぐしようと思う。
    お義母さん、ゆかちんのその想いはちゃんとわかってるはず。伝わってるはずだよ。ずーっとゆかちんの事見守ってくれるはず。
    Love you, Love me、そんな風に言える人になりたい。

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  4. ゆうちん。
    お〜、コメントありがとう〜。
    あはは。モンダイ解決したので、ブログも復活。気分の調子も良いけど、体は本当にモンダイ無し!のお墨付きいただきました。ってわけ。レントゲンも血液検査もやったけど、問題なかった!うん、でもやっぱり中国鍼と、漢方も良いよ。

    うん、そうだね、、。
    彼女は息子を亡くし、私は夫を亡くし、、で、それぞれの悲しみは同じ様で同じでなくて、でも、なんだろうね、同士みたいな感じだったよ。一緒に悲しみに対して闘った。一緒に闘ってくれた人、そばにいてくれた人たちはもちろん、私の家族も友達も沢山いるけど、彼女との絆はまた別物だったかもね。

    うん、めっちゃ払ってるはずやわ、あの寒さ!!!もう、散財しなさんな、っていつも言ってたのにねえ。最後の最後に、ドカンとすごいの、まさにスーパーコールドやってくれました。笑。

    ホントね、、先延ばし、、ついついやってしまうよ。
    だって、ま、いっか、、って思ってしまうんやもん。いかんねえ。

    天国に行った時に、ごめんね、ってもう一回言うよ。

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  5. はじめまして。

    福岡から書き込みさせてもらってますmayaといいます。

    お義母さんのことお辛かったですね。 ご冥福をお祈りします。 

    本当にいつも別れは突然やってきます。

    そして残された者に後悔を残していきますね。。。 

    私は去年の末にチャイニーズカナディアンの夫を病気でなくしました。

    最後の日は最後だとは思わずにさよならいえなかったなぁ。。。 後悔だらけです。

    夫は日本で亡くなったので、カナダ人が日本で亡くなったときの手続きを検索して

    いてYukaさんの前のブログを見つけました。 

    火葬のこととか大使館での手続きとかとても参考になりました。

    ありがとうございました。 でも気力がなくてまだまだ途中ですけれど。。。

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  6. mayaさん。
    コメントどうもありがとうございました。

    mayaさん、ちゃんとごはんを少しでも食べて、少しでも眠れていますか?
    本当にまだまだ辛くて、この辛さはいつまで続くのだろう、、と呆然とする瞬間もあるのでは、、と思います。冬の今、特に辛いと思います。

    ずっとご主人のことを考えて考えて、それだけに時間を使えたら、、、とか、悲しみにただひたすら浸れたらいいのに、、と思うのに、他のこと、こういった場合にしないといけない諸手続きがたくさんあって、なかなか気持ちがついていけなかったり、やりたくなかったりしますよね。とてもわかりますよ。その時は、どうか、休憩しながら、こういう時だからこそ、思いっきり甘えられるひとには甘えて、お手伝いをしてもらってくださいね。ひとりで絶対に抱え込まないでください。

    さびしいよね。本当に、わたしもさびしくて、とつぜん世界は”無”になったような感じで、ひとりぼっちで、自分の一部分を切り取られた様で、どうして私たちにこんな事が起こったのですか、どうして?って神様にずっと問いかけていました。今でも、正直に言うと、彼と共に死んでしまった部分が、自分の中にはあって、どうしても昔のように取り戻す事はできません。

    泣きたい時は沢山泣いてくださいね。ガマンをしないで。私も福岡の町中で、一緒に歩いた場所や一緒に行ったレストランなんかを見るだけで、ぼおっとしてきて、涙がいつも出てました。ヨガにいって、静かな中にいると尚更涙が出て出て仕方なかったし、、。

    でも、それでいいんです。
    泣いてるとき、彼も一緒に泣いてくれてると思うし、でもね、笑っていると喜んでくれていると信じていました。
    愛する人に願う事は、その人が幸せでいること、、、だから。

    辛い中、コメントありがとうございました。
    私も沢山のひとに慰めてもらったけれど、どうやったらmayaさんの心が少しでも楽になれるかな、、と思うと、どう言葉をかけて良いかわかりません。
    でも、カナダからmayaさんのこと思って祈ってます。
    ご主人はいつもそばにいて、mayaさんを守ってくれてますよ。
    寒いので、体には十分に気をつけてくださいね。

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  7. 見ず知らずの私に暖かいメッセージありがとうございます。

    ayaさん私の気持ちを解りすぎるほどわかっていてくださっていて、
    ぼろぼろ泣いてしまいました。

    夫は闘病生活が長かったので、亡くなる前から亡くなった後のいろんな場面をなんどもなんども頭のなかでイメージしていたせいか、亡くなってから一ヵ月半、ご飯も食べられるし、睡眠も意外と普通にできていて意外とダメージが少なかったなぁと思っていたのですが、急にここに数日寂しさの波が襲ってきて、いてもたってもいられなくなってしまいました。 

    なのにやらなければいけない手続きが山積で はぁ~です。 
    今日はがんばってモントリオールの生命保険会社に死亡保障の請求の為電話してみました。 が留守電でした…
    時差の関係で早起きしてかけたのに… 
    そんな些細なことさえ今の私を落ち込ませます。 
    れから領事館に行って認証とかいう、意味不明な作業も待っています。 
    全部終わるまでにそうとうな時間がかかりそうです。


    今の私は内に向かっていて周りの人がどんなに慰めてくれようとしても、
    ”どうせあなたには私の気持ちは理解できないでしょ”とかなり歪んでいるのですが、同じ経験をされたayaさんからのメッセージだけは本当に心にしみます。 ayaさんがおっしゃるとおり、彼は私の一部分でした。本当にその通りです。 私も半分死んでいるというかスイッチがオフになっている感じです。この気持ちからはやはりなかなか回復できないんですねぇ…

    遠い国から心配してくださって、祈っていてくださって本当にありがとうございます。

    ayaさんもとうぞご自愛ください。

    返信削除
  8. mayaさん。
    その後、モントリオールとお話はできましたか?
    ひとつひとつ行動をするのに、普段以上に労力を使いますよね。がんばって何かしても、うまくいかないとまたしばらく放置したくなるし、わたしはしてました。だって、、、できないんですもの。気力がね、、。
    グズグズしているように思う人は思うのかもしれないけど、本人ができないんだから、もうそれはそれでいいや、、、と思っていました。で、それでいいんです。
    でもね、いつかこういう諸手続きは終わりますからね。必ず終わるから!

    ブログ記事には書いた事がないのですが、カナダの方の遺族年金の手続きはされましたか?
    もしも、mayaさんのご主人がカナダで年金の支払いをしていたら、mayaさんが35歳以上であれば、すぐに給付され始めると思いますよ。私は夫が亡くなった時35歳以下だったので、給付は65歳を過ぎてからの予定です、、が、おそらく頂きません。

    私もありましたよ〜。
    慰めてくれてるけど、”わかってないよね、、きっと、、、”って。でも、わかることは、みんな、どうにかして慰めたいんだな、、ってその気持ちはくむ事にしていました。慰めてくれてるつもりで、結構ヒドい事言ってる人もいましたよ。もう、ビックリ!と傷つくのが同時で、腹も立つし、悲しいし、、だったけど、でも、この人もどうにか私を慰めたいんだ、、と思って気持ちを収めていました。でもそれも段々”どうして、辛い上にガマンしなくちゃいけないの?”って思いだしたり、、、。本当に色んな気持ちのステップを踏みます。しかも全然楽しくない、辛いステップです。そして、その言葉、、って未だにやっぱり忘れられないんですよね。思いだして怒りになるか?と言われると、もう今はならないけれど、学ぶ事がたくさんあったな、と思います。その言葉を、自分が誰かに向けて発する事なく、ひとを傷つけなくて良かった、、とは思います。
    こういう学びを、彼は与えてくれた、、と思っています。

    mayaさんのご主人も、今は姿がここに見えないけれど、彼はいつもmayaさんのそばにいて、これからもたくさん色んな事を教えてくれて、守ってくれますよ。そして、いつか必ずまた会えるから、、。

    私は、再会の日に、”その後の人生、楽しく過ごしてて安心したよ。僕といたときよりも、ステキな人になったね”なんて言われたいな、、と思っています。私たちがより良く生きることは、生きたくても生きていられなかった人のためでもあると信じています。
    まだまだ今は難しいと思うのだけど、どうか心の片隅でよいので、”彼の分も、この生を楽しんで生きる”って思っていただけたら、mayaさんの胸に少しでも明るく前に進む材料になれるんじゃないかな、、なんて思います。

    目を向けてると、この世には美しい物はたくさんあります。ご主人はいつもその美しい物のところにいると思いますよ。

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